「都市デザイン」とは


注:以下は引用文です


拡大する「デザイン」の意味

  先日、子供向けのテレビ番組が、Gマークでおなじみのグッドデザイン賞を受賞したことを知った。テレビ番組としては初めてだそうである。調べてみるとグッドデザイン賞2004年度受賞作1263点のうち、ほとんどが製品化された物的なもの、いわゆる商品に与えられているが、そのうち数点がプログラムや仕組みのデザインを評価されて受賞していた。(テレビ番組、NPOのリサイクル活動、新駅コンペの企画など)1957年に通商産業省によって始まったグッドデザイン賞も、50年近くを経た現在、商品だけでなく、コミュニケーションデザイン部門やデザインを核とするビジネスモデルなどを含めた新領域デザイン部門を有している。

  このように日本語の「デザイン」という言葉は、以前は比較的限定されて扱われていたが、近年その意味を拡大しているように思う。つまり従来的な見た目・形のデザインは誰しも理解している定義だと考えられるが、前出のグッドデザイン賞コミュニケーションデザインや、耳にすることの多くなったプロセスデザイン、政策のデザインとなると、必ずしも見た目の善し悪しを問題としているのではなく、時間や人・組織も含んだものも対象とされ、広がりをみせている。


「都市デザイン」の3つのデザイン


物理的な空間のデザイン

設計という分野。最もイメージの湧きやすいところで、舗装のデザインやベンチ・街灯・並木などの配置、道に並ぶ建築の姿つまり「街並み」などの見た目・形を問題とするデザインである。これは建築やインダストリアル・デザイン、土木などと深く関わり、ランドスケープ・デザインとも重なる。


都市政策や都市計画のデザイン(長期政策・マスタープラン)

街並みや歩行者空間の設計をするにしても、土地利用や交通体系、または都市そのものが向かう方向を決める長期政策やマスタープランといったものが共に整わないと、空間の設計だけではまさに「絵に描いた餅」になってしまう。これらの政策も広い定義ではデザインの対象とされてきていると考えられる。


プロセスやコミュニケーションのデザイン

多くの人が関わり決定主体も一つではない都市空間に関して、設計の内容を決定するにも完成前後の企画や運営を考えるにも、適切な「合意形成プロセス」や組織などのコミュニケーションの場を提案しない限りは、良好に利用そして維持されることはありえない。この分野もプロセスデザインなどといった言葉で一般に定着しつつある。


デザインの混乱と可能性

  都市デザイン分野と大きく重なる「まちづくり」という言葉も随分と一般的になり、特に90年代からプロセスやコミュニケーションのデザインに関しては様々な試みが発展し、福祉や教育の分野などにも広がりを見せ、NPOなどの形態で定着しつつある。しかし設計分野では、空間が多くの都市で豊かになっているとは言い難い。このような現実の中で、プロセス重視の視点からはユーザー不在で形の議論を先行しがちな設計分野のデザイナーの態度が指摘され、一方で市民とのコミュニケーションのプロセスに焦点がおかれると空間のデザインの質が落ちると考える人もいる。

  これらは「デザイン」という言葉の多用の中で混乱をしているようであり、その対象や特性の整理をしない限り改善が難しい。特に職能としてはこれからであり、特に空間の問題に関わるまちづくりや都市デザインでは、設計分野でのデザインをする建築家が必要に迫られて、プロセスやコミュニケーションのデザインなどを発展させてきたという背景から、設計と調整双方のデザインということを一人二役でこなす利点と弊害を整理する必要があるように思われる。

  ちなみにオランダでは「コミュニケーター」とも訳すことのできる専門家がおり、市民参加や広報誌・説明会企画などコミュニケーションに関して専門に働いており、都市デザイナーと呼ばれる人々はどちらかと言えば設計と計画作成に特化した職能となり、全体のプロセスはプロセスマネジャーが指揮を執っている。これは、職能間の協働と彼らを時系列的に繋いでいくプロセスデザインの概念が発達しているので成立することだと考えられ、もちろん問題も多く抱えているが、デザインという言葉にまつわる混乱はないように見える。

 縦割りの弊害が大きい日本では、単純な職能の分割は、あまり効果があるとは思えず、しっかりとした軸足をどこかにおくこと、その上での幅広い対応力が求められている。特に、遅れをとっている空間の質の改善では、コミュニケーションやプロセスデザイン分野においての設計に対する理解、そしてコミュニケーション・プロセスに対する設計側の理解が求められている。しかし双方がデザインの対象となり、デザインという言葉のもつ創造性や表現力、構築性などの共通点をもつことで可能性も拓けてくるのではないだろうか。

  2005年6月「景観法」が施行され、いよいよ空間の質を考える時代にきた。現代の社会の中で、人々の営みの発露として風景が美しい、と単純にいくかどうかはわからないが、双方の歯車がそろって初めて、人々の生活を楽しく豊かにするような空間が生まれるのではないだろうか。