「おくりびと」を観る前に

おくりびと」がオスカーを取りましたね。

まだ映画は観ていませんが、近々観ようと思っています。個人的には、先日祖父が亡くなり納棺に立ち会ったので、少し違った感覚で観ると思います。
通夜で、祖母がお坊さんに「お経」の意味をたずね、「長年、よみ続けられてきたことにそれぞれの思いをのせていく」というような意味の答えを聞いてから、「おくりの型」について、ぼんやりと考えていたところでもありました。


少し、基本的なことを踏まえておこうと思って、整理してみます。

まず考えていたのが、いろいろな宗派のことです。信心深いヒトでなければ、葬儀のタイミングになって、急に現実として現れます。「おっ、うちは○○宗だったのか」という感じに。まあ、とりあえず年表をチェックして、違いについて調べてみました。

一人ひとりにとって自らを照らす教え(法)と自らが依り所とする教えに対する理解や解釈の相違から、多くの部派や学派が生まれたのです。中国や日本にはいくつかの宗派があります。それぞれ依り所としている経典が異なるからです。それは、それぞれの宗派の開祖(宗祖)が釈尊(仏陀)の残された教え(法)の何を依り所とされているかの相違なのです。

なるほど。こうして長い歴史の中で見ると、宗派の違いは「理解や解釈」と考えられるので、「長年、よみ続けられてきたことにそれぞれの思いをのせていく」ことの意味が、何となく実感できました。


もうひとつぼんやりとしていたのが「葬儀の段取り」です。

「納棺の儀式」というものを、ひとつの「作法・技術」ととらえて、「非常に日本的だ」と考える視点を、ほぼ日刊イトイ新聞の対談で読み、少し納得してみました。観賞後にどんな感想を持つかわかりませんが、この対談は読み応えがありますよ。

ほぼ日刊イトイ新聞 「死を想う」 <糸井重里×中沢新一×本木雅弘>